ドミノ・ピザ創立者
その結果として、彼は一九八七年度の企業発展部門におけるナポレオン・ヒル・ゴールドメダル賞に輝いたのである。
ピザ会社の経営だけでなく、かつては大リーグ球団、デトロイト・タイガースのオーナーでもあった彼は、一方ではアンティーク車や、ライト兄弟が製作した飛行機のコレタターでもある。本業の他にこういった趣味が持てるほどの彼のスーパーリッチな成功は、ナポレオン・ヒル・プログラムの秘訣によるところが大きい。
ヒル博士はこう述べている。
「人が成功を手にするために、必ず持っていなければならない資質が一つある。それは、自分の求めているものが何であるかということを理解し、それを手に入れるために強い工ンスージアズム(熱意)を持って、明確な目標を設定するということである」
明確な目標を設定する
モナハンは、1986年にロバート・アンダースンと共同執筆した『ピザ・タイガー』という著書で、ヒル博士の成功の秘訣をどのように実践したかについて、次のように述べている。「経営の基礎を組み立てることが、私にとっての目標設定です。進むべき方向を知るためには、目的地を決めておかなければなりません。仕事をしているようなふりをして何かが起こるのを待つだけという姿勢では、会社経営であれ、個人の仕事であれ、家事であれ、すぐに体がいうことをきかなくなってしまいます」
彼はさらに、自分自身の目標設定法についても述べている。
「何かが閃いたり、考えついたりしたときには、そのつどノートをとるのが私の目標設定法の秘訣です。しかし、目標設定という言葉は、あまりにその意味が漠然としており、私の意図することは十分には伝わりません。ですから説明が必要です。私がしていることは、素晴らしい夢を築き上げることなのです。目標とは人を奮起させるものでなければなりません。そうでなければ、人はその目標に向かって努力しようという気にはならないからです」「私はどこへ出かけるときでも、愛用のグリーンのノートを持ち歩きます。考えついたことや、目標に向けての計画、夢、当面する問題の分析などのすべてを‥…。そうです。私の心に浮かんだすべてのことを、手元のノートに書き記しているのです」「一冊のノートを使いきれば、さらにもう一冊のノートを使います。ときには内容別に、何冊ものノートを持ち歩くことになります」このように、実に念入りに、それらを徹底して実践していることがわかるだろう。
「私にとって大切なことは、書くという行為の過程です。ノートをとるということは、考えたことを書き記すという行為です。が、大切なのはノートに残した言葉ではなく、あれこれと考えた過程なのです」こういうわけだから、彼が設定する目標は多種多様である。
「設定する目標には、長期目標、年間目標、月間目標、週間目標、一日の目標があります。 一日の目標は、『今日はこれとこれをすること』といったような形式になりますが、長期目標は願望の雑記帳とでもいうようなものです。長期目標以外の目標は具体的に細目を記し、とるべき行動を明記しているのです」
ある年のモナハンの年間目標を例にとると、彼は「五〇〇店舗」という達成目標をリストの最初に掲げている。つまり、その年のうちに、五〇〇店舗のドミノ・ピザを開店するということなのだ。
「当時のドミノ・ピザの発展段階では、これは大変な目標でした。しかし、達成不可能な数字ではありませんでした。この目標で大切なことは、それが具体的な数字だったということです。ただ単に、今年はチェーン店を増やそう、などという漠然とした目標ではなく、五〇〇店舗達成か、そうでなければ破産だという姿勢で臨んだのです」
また、ヒル博士を思わせるような口調でこう語っている。「目標が明確で具体的であれば、他人にも理解しやすいものです。ナポレオン・ヒル博士も言っているように、実はこれがいちばん大切なことなんです。企業目標に取り組むときには、経営者はその目標を達成するために、社員にその目標を徹底させなければならないからです。その目標の何たるかをしっかりと理解させ、実行可能であるとの信念を持たせ、社員に、自分たちは達成できるとの確信を持たせる必要があるのです」この目標設定には、もう一つ重要な側面がある。それは達成期限を明確にすることである。
「この目標は、いつか近い将来に、といった期限のはっきりしないものではなく、て、年末までに達成するものとする」といった具合なのだ。明確な期限としある年のノートをのぞくと、四ページにも及ぶ翌年の年間計画に、仕事上の目標にとどまらず、健康上の目標も含めた一五〇もの達成目標が書き記されていた。
「体重を七五キロまで落とすこと。一日おきに腕立て伏せを二〇〇回はすること。脂肪とコレステロールの摂取をひかえること。マラソンを完足すること。レイ・クロック氏〔訳注…ハンバーガーのマクドナルドの創業者〕に合うこと……等々」
モナハンはこれらの目標の大部分は実現したが、あと一息というところで実現できなかったものもある。実は先に紹介した大目標も実現できなかったのである。
「500軒日の店舗の開店は、翌年に持ち越しになってしまいました。しかし、あと一息というところまで行ったおかげで、私はよけいに闘志を燃やして、目標店舗数の達成に邁進することができました」
目標達成を多少は欠いても、そのことが一段と闘志に拍車をかけたのである。ナポレオン・ヒル博士の「忍耐」の教えをひたすら守る。明確な目標を持つことの他に、モナハンは、目標達成のためには忍耐が必要である、というナポレオン・ヒル・プログラムの教えを実躇している。
マクドナルドの創業者であるレイ・クロックと面談したいという彼のエンスージアズムが、その一例である。「レイ・クロック氏との面談の約束はできないかと、私は一九六八年から八方、手を尽くしました。面談の目的は何かと、彼の秘書がよく尋ねたものです。私はそのつど、こう答えました。『事業の発展の仕方は似ていますが、ドミノはマクドナルドに比べ、一五年くらいは遅れています。マクドナルドの発展は私のお手本ですし、クロック氏は、私の経営上の神様です』と。しかし、野球にたとえれば、私は一塁にも達していなかったのです」
一九七二年以後、モナハンは面談の約束を取りつけるために、秘書を使って月に一度はクロックのオフィスに電話をした。しかし、そのたびに、面談できない理由をあれやこれやと聞かされている。
ようやくにして、カリフォルニア州サンディエゴのクロックのオフィスで面会できるかも知れないという連絡を受けたのは、一九八〇年の初夏であった。
後に彼は、面談の了解を得たときの経緯について、こう回想している。
「クロック氏の秘書が、できるだけのことをしてみましょうと言ってくれました。クロック氏は当時七十八歳で、健康状態が悪化しており、スケジュールも不規則になっていました。サンディエゴにいる間、私は毎日、オフィスに電話をかけたものです。それに対する空白の返事は、いつも、『できるかどうか考えてみる』でした」
「何回か無駄な電話をかけた末、ようやく、クロック氏がお会いしてもいいですよと言っているという返事をもらいました。面談時間はたったの五分間でしたが…‥」
精神力と目的意識と忍耐心を持って自ら考える人が、大願を成就する
「待望久しかった面談のときを迎えることになりました。私はこらえ切れないほど興奮しました。しかし、クロック氏のオフィスのロビーではかなりの時間、待たなければなりませんでしたので、もしかすると面会を断られるかも知れないと、不安になってきました」
「不安にさいなまれているとき、クロック氏の秘書がやって来ました。エスコートされて部屋に入ると、そこには、いたずらっぼい微笑を浮かべたクロック氏の姿がありました。私はさっそく、何回も読んだおかげで手あかで汚れ、形もくずれんばかりになった、『苦労の賜物-マクドナルドの創立』という彼の自叙伝を取り出しました。その本を読んで勉強し、彼の教えのどこにアンダーラインを引いているかを見せたのです」
秘書が時間切れを知らせるまで、彼ら二人の話は二時間半にも及んだ。とはいえ、初めのうちはモナハンの思いどおりには事は運ばなかった。
それについて、彼はこう述べている。「私のほうがクロック氏から教えを請おうと思って出かけたのに、逆に鋭い質問を矢継ぎ早に浴びせられてしまいました。結局、話をしたのは全部私のほうでしたが、そのかいあって、クロック氏は即座にドミノの経営理念のいちばんの理解者になってくれたのです」
また、クロックはナポレオン・ヒル・プログラムのこともよく知っていた。
モナハンの経営目標と、その目標達成を目指す努力に、クロックは賛意を表した。実際、彼がそのことに関心を寄せたことを伝える知らせが、モナハンの耳に入ったのである。それはある店長からの電話であった。彼は興奮した口調でこう言った。
「社長! 大変ですよ! 何があったと思われますか。クロックさんがご来店なさって、ピザを注文して下さったんですよ!」
モティベーションと、目的意識と、忍耐心-。人は自ら考えることによってのみ、成功を収めることができる。モナハンはそのことを身をもって示してくれた先達である。



