皆さんの周りの体験談第7回(12月1日更新)
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第7回(12月1日更新)
今回はTさんにお話を伺いました。
父は、国鉄の職員、私は一等航海士になるのが夢だった。スポーツが得意で、小学校、中学校時代、陸上を走ると、いつも1番、柔道すると1番。力が強くて、走ると速い。
何が私に向いているかとクイズを出せば、誰だって、警察関係と答えるだろう。
実際、祖父の父は、武士だった。
しかし・・・歴史上、何か国家のお役に立つことがあったのかと言うと、まだ、調べていないが、「 悪を許さない 」血は、確かに受け継いだと自分は思う。
高校時代、陸上ホッケーのスイパーだった。
大学を卒業すると、在学中に公務員試験合格。
他に、警視庁と、大学の事務職員に合格。
後者を選ぶ。23歳より、勤続25年、嫁は私に惚れての押しかけ女房(ゴメン・・・)
19歳と小学の子供がいて、公務員としてつつがなく生活している。
35歳で、家を建てた。
ローンは50歳で終らす計画で、順調に推移している。
プログラムを採用したのは、自分の能力を引き出したいからであった。’00年10月に、速聴プログラムを採用した。
記憶力の面で、衰えを感じていた。名前を覚えるのが苦手だった。根が真面目だから、マニュアルどおり取り組んだ。3倍速から4倍速も解った。
一番の効果は、速読力である。
私は市立図書館で、2週間に3冊読むのが普通だったが、スピードが速くなった。歴史と哲学が好きで、読むと人に話す。宇宙のこと、地球のこと・・・数字がどんどん頭に入り、1パーセクは3.26光年だぜ・・・などと、数字が出ると、人々は私を見直した。速聴によって、記憶力が高まったのだ。これだけで、投資はペイされたと思う。
心構えの面でも、
「 日々成長しなければ 」の思いが強くなった。何でも勉強だ。向学心に燃えて、大学に通い始めた。
また、英会話にも通っているが、今まで、何を言っているのか、全く解らなかったのが、速聴を使い出してから、解るようになった。英会話が楽しくてたまらない。外人とペラペラ話したいと小さい時から、これが夢だったので、
現実化の道に入ったと思う。採用してよかったと、またも、自信を持った。
成功の法則が、この世に存在することは、自己啓発の本などで昔から知っていたが、人間の脳の開発によって、無限の可能力を引き出せること、行動科学で証明されたこと・・・
私はそのプログラムを持ち、眠っていた脳内の力がそこ、ここと目覚めてくるののを感じる。仕事の処理能力、アップ、コミュニケーション能力のアップ。私は、積極的になった。
迷える時は、まず、一歩前へ進もう!!それが信条である。
哲学も昔から好きだった。
人間は何の為に生まれてきたのか。如何に生きるべきか。「 幸せ 」になる為に生まれてきたのだ。では、どうすれば幸せなのか・・・
人のために尽して人が喜んでくれる時、この時こそ幸せなのだと気づく。マザーテレサのような生き方に、人格者としての完成を見る。
教育基本法第一条から10条まで、良いことが書いてある。人格完成が目的なのだ。
少しづつみんな違って、幸せになれない。人々は気づくべきだ。その為に、皆、原点に立ち帰るべきだ。プログラムは人々の為に、役立つであろう。チャレンジあるのみ!
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第6回(10月12日更新)
大学を卒業して、金融機関に務めた。同級生との結婚も間近に控えて、花ある青春に、まさかのリストラにあってしまった。
青天の霹靂でした。
人や組織に対して、すっかり疑い深くなってしまった。思うに、自分は人にいい様に使われて、使い捨てに遭うことが多かった。
人間不信の中で、こんな自分を改善しなければと思った。まだ若いからよろよろと立ち上がれた。
人に騙されない人間になりたいと思った。
リストラされた事で自分を見つめなおした。
金融機関よりも、自分を生かす仕事があるはずだと思った。
窮屈で堅い組織は自分に向かない。資格取得し、自営業で身を起こそう。勉強するための時間確保の為、人材派遣の会社を選んだ。
仕事はIBMのお役所向け、「 入札 」どこまで値下げできるかを手伝う。営業補助事務の仕事で、これは金融機関でやってたことが生きた。
そして、2年前には税理士の勉強を始め、次には、社会保険労務士、中小企業診断士の資格取得の勉強を始めた。
ナポレオンプログラムを採用したのは、’01年7月であった。自分を変えたいこと、それから、資格取得のために、モチベーションの一助となればと思ったからである。
私は、以前と比べて変わったと感じている。
くよくよしなくなった。性格面では、明るい感じになった。以前に比べて自信が湧いてきた。
仕事面では、「 面白い 」と思える部分が増えた。周りが良く見えるようになった。注意力アップである。
学業では、確かに頭の回転が速くなった。
1日1回、4倍速から3倍速で2回速聴を聴いている。所要時間は1日あたり30分~40分である。夜、寝る前や、通勤の電車の中で時間を惜しんで使っている。
法律条文も、CDからMDに落としたり、カセットなどにしたりして、何回も聴いたし、試験問題の記憶に速聴機は最高である。記憶力アップである。
今では、本来の自分を取り戻したと思える。
そうは言っても、結婚直前にリストラを受けた傷はまだどこかに残っているように思えるが、
ナポレオンヒルプログラムはそのことを忘れさせるほどの力で、私を勇気付けてくれたのである。
その後、結婚した妻は、リストラされても、離れることなく、最高のマスターマインドとなった。
私の心に平安が宿り始めた。疑い深い性格が改善された。この世には、良い人がいっぱいいると信じられ、私は、自信を持って歩き始めた。
第5回(8月19日更新)
今回はMさんにお話を伺いました。自分を変えていきたい、会社の業績を上げていきたいと思って、プログラムを採用されました。
その後、どんな成果がでたか、Mさん曰く。実感した成果として、以前は、自分が考えて行動している事が間違っていないけど、本当に自分自身でどうなのか分からないまま行動していました。しかし、現在は、はっきりと判断で行動できるようになり、経営者としての仕事に対しての不安がなくなりました。以前よりも、自分以外の人(お客さん,従業員,家族)に対してはいろんなことを教えるとか、やってあげる事が多くなり、会社でも家庭でも、決断がすぐにできていろいろなアイデアが浮かんですぐに行動できるようになりました。それにより会社での作業的な仕事が以前より速くできるようになりました。営業をする時に積極的になり、お客さんにいろいろなアドバイスが出来て会社で扱っているいろんな商品の販売ができ、後日もお客さんの方から逆に電話連絡などでの注文なども多くなりました。人と話をする時に、言葉が次から次に出てくるような気がします。そしてよく話をするようになりました。その結果、小さな事に悩まなくなり、以前よりか少しは寛大になったような気がします。会社で、社員の行動を見たり、社員と話したりすると、考え方とか思っていることが分かるようになりました。自分の持っているいろんな感覚が鋭くなりました。
例えば食事をする時も素材一つの味がわかっておいしく食べられるようになりました。以前から、社員には日報を書かしていましたが、日報の一部に今日の目標(今日、仕事でやること)を取り入れ、朝、会社に出社したら、まず今日の目標を考え記入して次の仕事をしています。社員も積極的に仕事に取組むようになりました。
第4回(8月15日更新)
今回はTさんにお話を伺いました。Tさんは27歳で、酒屋でアルバイトをしながら司法書士を目指していました。プログラムに興味をもったきっかけは、何と失恋だったそうです。大学時代から交際していた彼女から、自分勝手で悲観的な性格を指摘されたことに大きなショックを受けました。
彼女は去ってしまいましたが、これを機会に自分の性格を変えたいと痛切に思うようになり、成長した自分を彼女に見せてやりたいという気持ちから採用されました。
プログラムに取り組んで5ヵ月。集中力と速読力が飛躍的に高まったそうです。
以前のTさんなら、読書を始めて数分で気が散ってしまっていたところ、今ではそのようなこともなく、読書量もかなり増えてきました。大学で法律を学んでいたことから司法書士を将来の職業にしようと思ったTさんでしたが、現在は福祉の分野にも関心をもつようになったそうです。
赤十字のボランティアに積極的に参加して、人から感謝されることに喜びを感じるようになったTさん。
自分でも考えられないほど視野が広がり、関心をもつ分野も増えてきました。
自分を冷静に見つめられるようになったことも含めて、これらすべてはプログラムの成果だと言って、自分に対する素晴らしい投資になりました大満足ですと嬉しそうにお話いただきました。
第3回(7月25日更新)
今回はAさんにお話をお伺いいたしました。
私は東京で生まれました。父は、弱視で、指圧師です。そして母は、3年前他界した。私は、○○大学理工学部を卒業、専攻は航空機、ロケットのエンジンの勉強をした。
大学4年の間に、自分は何がしたいか、目標を見つけることが出来なかった。
ヘリコプターの設計会社へ人材派遣会社から回されて、自衛隊で使うヘリコプター専門の設計に携わった。
大学では基礎だけ勉強していたので、「有限要素法」など、難しかった。風が吹くと、建物がゆれる。
各部分にどの位の力が加わるかの方程式である。①コンピューターに入れるまでの計算を先にして、②コンピューターに入れて、③再計算。
日本はヘリコプターでは遅れている。今までは輸入していたのです。メイン会社の他に何百社も集まって、日本で作ろうというのだ。私は派遣され設計を担当していた。設計図をもとに各々の会社が部品を作り、それをまとめて組み立てる。0,001ミリ狂ったら、ヘリは飛ばないのです。
例えば、10cmは限りなく10cmであらねばならない。誤差が激しかった。
この時期、タバコ、コーヒー、ものすごく増えました。(凄いストレスです)朝8時から夜9時まで座りっぱなしだった。
私はストレスが溜まっていました。極度に神経質になっていた。飛ぶ寸前、落ちたら怖いから、会社を辞めた。減量したいから努力したわけではなく、私は3ヶ月で15キロ体重が減った。パセド病だった。薬がなかったのです。猛烈に汗をかいた。何もしなくても、汗をかいた。カロリーを消耗した。5食、食べても痩せた。今も、この病を引きずっている。じっとしていても手足が震えるのである。
食うために、仕事がいる。
今度は、自営業に憧れ、友人の話に乗った。儲けて、実業家になれると思ったら、甘くなかった。
またたく間に300万円の借金を作った。収入が途絶え、ご飯に塩ふりかけて食べることも珍しくなかった。しかし、米など、友人が差し入れてくれたりして、生きてこれた。山のように出来た借金を前に、自分には新たな発見があった。以外に、〔自分は、楽観的であること〕何とかなるさ・・・の気持が私を支えてくれたと思う。
タクシー運転手になって粗肴をつなぐ。この間、怖い目に、しばしばあった。酔っ払いや、いろいろだ。タクシー強盗もあったが、命はあった。
つくづくと自分のまいた種のための苦難だ。泣いたって、誰も助けてくれやしない。
失敗の数・・・立ち直ることが出来るのか・・・この失敗の中で、一つの教訓は「焦るな」ろくな事はない。
一攫千金など、この世にはないのであった。 人の口車に乗って、大借金を抱えたのだ。
しかし、弱い心が、そうさせたのだから、己に「 ガツンと 」挙固をお見舞いするしかない。
この間に、母がくも膜下出血で死んでしまった。親不孝をしてしまった・・・。先物取引などもして大損した。
私はハローワークのドアをノックした。人生をやり直さねばならぬ。
そして、今の会社に入った。
創業25年、福祉の車、車椅子などを売る。固定給23万。1台売る毎に1万円の歩合が付く。
私は営業成績びりが年続いた。
それでも給料をくれた。みんな黙って、私を見守ってくれた。社長は営業が得意で、一番の成績である。よくも黙って私を見守ってくれたものだ。恩を感じた。
「こんなことで、自分の人生は、どうなるのか・・・」
営業をサボって本屋の中をさ迷った。天は私に、長い手を差し伸べたようだ。私は、ナポレオン・ヒル成功哲学と、速聴を生まれてはじめて知ったのである。
今からスタート0か、マイナスからの出発である。苦しい生活の中で、自己投資を決断をした。
3倍速聴で聴いた。
飛び込みが、怖くて、怖くて、苦手だったのが、楽しくなった。営業成績が上がらなかったのは、何故かについて、閃くものがあった。トークを換えた。
そうだ、速聴を聴くと、聞き上手の能力が高まる。注意力が高まる。私は速聴に慣れるに従って、態度が変わった。無我夢中で、覚えたトークを噴射させていただけだった。私は、相手の言うことに耳を傾けた。質問した。お客様のニーズは、その中に、「 買わしてください 」の声をあげていたのである。
話は、契約の締結へと導いた。そして、「良いお話を聞かせてくれて有難う」と、お礼を云われた。
え? お話してくださったのはそちら様なのである。
成功の法則に気づいた。私の営業成績は、上がっていった。遂に、ビリから、トップへと、這い上がったのである。
営業のエの字も知らず、車のことも、車庫証明の取り方も知らない人間が、周りの温かい目、優しい心のお陰で、脱皮し、立ち上がったのである。
私の足に、重い鎖(借金、病気)が解き放たれる日を、夢見つつ、日々挑戦が続く。「出来るのだ」と思う。
苦労は、自分で買ったが、決してマイナスにならないことも知った。十年も年を取ったように、様々なことを悟った。私の移動する車の中で、ナポレオン・ヒルのレッスンが「勇気」を与え続けている。
第2回(7月17日更新)
今回はSさんにお話をお伺いいたしました。
一生懸命働きました。朝は、8時から夜は9時まで・・・。
子供は、小学校5年生の長女と小学校3年生の長男、そしておじいちゃんとおばあちゃんもいます。
稼ぎ手は、私だけになりました。
平凡な主婦の私に、一大転機がおとずれたのは夫の転落事故でした。
夫は、首を脱臼し首から下が麻痺してしまいました。一年間の入院のため、私は勤めを辞めました。一命はとりとめましたが、杖をついて歩くことは出来るようにはなりましたが、しかし、残念ながらもう働くことは出来なくなりました。
一町歩ばかりの田畑をおじいちゃんとおばあちゃんが耕し、何とか食べるだけは作れました。
「 現金収入は、ドンと私にまかせて!あとは頼んだよ!」
私は、平成9年の4月に外資系の生命保険会社に入社しましたが、営業職は初めてでした。
あれから、もう5年以上が過ぎました。
私は生活のため必死だったのです。
上司から教えられたとおりのことを行動し、そして仕事のかたわら、資格取得に励み、「認定生命保険士」「ファイナンシャル・プランナー」の資格を取ることが、出来ました。大きな自信を得て、そして専門職としての意識も高まり、人脈も広がりました。
あるセミナーで、ナポレオン・ヒル プログラムの存在を知りました。
「私はダイヤモンドの原石だ。ダイヤモンドの輝きを自らの中から、引き出そう!」と活用することを決めました。
その後、ナポレオン・ヒル プログラムは、私のために存在するとさえ思いました。
もっと早く知っておれば、もっと、もっと良かったのにと思いました。
私が、考え、行動したことが、成功法則に則っていたことも確認出来ました。
効果は、絶大でした。
成果、その1.・・・プラス思考になった。すべての物事は、自分が選択しているのだと気づき、周りで起きるトラブルが気にならなくなった。
成果、その2.・・・集中力がアップした。
成果、その3.・・・ギブ アンド ギブ を心がけるようになった。
収入面
一年目→年収140万円 二年目→年収300万円 三年目→年収700万円 四年目→ 年収1,000万円
仕事に熱意を込めれば込めるほど収入はアップし、気づいたら1000万プレーヤーになったいた。2001年4社内コンベンション入賞で、フランスに行って来ました。
2001年「ラスベガス」行きが決定しました。
2001年全国ランキング7,000人中26位になることが出来ました。
2002年に二人の子供をラスベガスへ連れて行きました。
子供は中学生になりました。
私の頑張っている姿をみながら、良い子に育ってくれました。おじいちゃんやおばあちゃんが協力してくれたお陰です。
家中、家族が私の仕事を認め、応援してくれてます。私が、こんなに強い女とは思わなかったらしいです。尊敬される親であり続けると、強く心に念じて働いています。
通勤途中の車の中では、いつもプログラムが流れています。私は、「成功の黄金律」「成功の定義」に従って、お客様のお役に立ちたいと願って、いつも行動してます。
人々のために、社会のために、貢献出来る素晴らしい仕事だと気づいたことは、幸いでした。私は、「世界6%の会」保険外交の最高位の人間に挑戦しようとしてます。
平凡な主婦から世界へ雄飛しようなんて、またそれが可能な範囲の資格、実績保持者へと変身したことは、自分さえも思いもよらぬことでしたが、「やればできる!」「夢は必ず実現する!」熱意、信念、行動が、それを具現化することを私は体験しました。
子供達も、その秘訣を知り、今後の人生に大いなる力を得ることだろうと思います。
周りの方々に心から感謝をして、私は外へ飛び出します。不可能はない! やれば出来る!
第1回(7月13日更新)
今回は、仕事として、9年間ネットワークビジネスをやられていて、代理店を9店舗もたれているBさんにお話を伺いました。
ナポレオン・ヒル・プログラムを採用された動機は、1年後に代理店を20~30店舗にしたい。そのために、対人能力や人材育成を強化して、効率的・効果的・楽しく結果を出していきたいというものでした。
特にヒューマンビジネスですから、テクニックと、それ以上に自分自身が魅力的な人間になろう!と感じられていたのですが、自信の無さから仲間に対して、厳しい事や適切なアドバイスがなかなか言えなかったり、うまく表現出来ないのが、1年前、Bさん自身の最大の課題だったそうです。
そして現在は?というと…
目標の20店舗設けて、さらに走り続けているそうです。
「 何が良かったか? 」とお聞きすると、Bさんは、「自分がすごく変わった!」とのことです。
物事の見方・捉え方がポジティブで柔軟になってきて、自分のやる気や信念・気づき・アイディア等が、非常で豊かになってきたそうです。
例えば、自分にとって好ましくない状況に立たされたときでも、「これは自分にとって必要な経験で、ここから何を学び・生み出していけるのか?」と考えられるようです。
これからの目標は、仲間の人達が、安心して楽しく仕事の出来る環境を作っていきたいとのことでした。
ドミノ・ピザ創立者
第一話 今回は、わずか500ドルという少額資本で始めた一軒のピザ・ショップを、世界最大の宅配ピザ会社にまで成長させた、ドミノ・ピザの創業者であるトム・モナハンを紹介します。彼はナポレオン・ヒル博士のプログラムの活用により、大いなる成功を成し遂げた。
その結果として、彼は一九八七年度の企業発展部門におけるナポレオン・ヒル・ゴールドメダル賞に輝いたのである。
ピザ会社の経営だけでなく、かつては大リーグ球団、デトロイト・タイガースのオーナーでもあった彼は、一方ではアンティーク車や、ライト兄弟が製作した飛行機のコレタターでもある。本業の他にこういった趣味が持てるほどの彼のスーパーリッチな成功は、ナポレオン・ヒル・プログラムの秘訣によるところが大きい。
ヒル博士はこう述べている。
「人が成功を手にするために、必ず持っていなければならない資質が一つある。それは、自分の求めているものが何であるかということを理解し、それを手に入れるために強い工ンスージアズム(熱意)を持って、明確な目標を設定するということである」
明確な目標を設定する
モナハンは、1986年にロバート・アンダースンと共同執筆した『ピザ・タイガー』という著書で、ヒル博士の成功の秘訣をどのように実践したかについて、次のように述べている。「経営の基礎を組み立てることが、私にとっての目標設定です。進むべき方向を知るためには、目的地を決めておかなければなりません。仕事をしているようなふりをして何かが起こるのを待つだけという姿勢では、会社経営であれ、個人の仕事であれ、家事であれ、すぐに体がいうことをきかなくなってしまいます」
彼はさらに、自分自身の目標設定法についても述べている。
「何かが閃いたり、考えついたりしたときには、そのつどノートをとるのが私の目標設定法の秘訣です。しかし、目標設定という言葉は、あまりにその意味が漠然としており、私の意図することは十分には伝わりません。ですから説明が必要です。私がしていることは、素晴らしい夢を築き上げることなのです。目標とは人を奮起させるものでなければなりません。そうでなければ、人はその目標に向かって努力しようという気にはならないからです」「私はどこへ出かけるときでも、愛用のグリーンのノートを持ち歩きます。考えついたことや、目標に向けての計画、夢、当面する問題の分析などのすべてを‥…。そうです。私の心に浮かんだすべてのことを、手元のノートに書き記しているのです」「一冊のノートを使いきれば、さらにもう一冊のノートを使います。ときには内容別に、何冊ものノートを持ち歩くことになります」このように、実に念入りに、それらを徹底して実践していることがわかるだろう。
第二話7月13日更新
思考の過程を重視する しかし、そこまで念入りであるからといって、自分が書きとめたノートをモナハンが読み返すことはめったにない。
「私にとって大切なことは、書くという行為の過程です。ノートをとるということは、考えたことを書き記すという行為です。が、大切なのはノートに残した言葉ではなく、あれこれと考えた過程なのです」こういうわけだから、彼が設定する目標は多種多様である。
「設定する目標には、長期目標、年間目標、月間目標、週間目標、一日の目標があります。 一日の目標は、『今日はこれとこれをすること』といったような形式になりますが、長期目標は願望の雑記帳とでもいうようなものです。長期目標以外の目標は具体的に細目を記し、とるべき行動を明記しているのです」
ある年のモナハンの年間目標を例にとると、彼は「五〇〇店舗」という達成目標をリストの最初に掲げている。つまり、その年のうちに、五〇〇店舗のドミノ・ピザを開店するということなのだ。
背水の陣を敷く モナハンは「五〇〇店舗」という達成目標について、次のように述べている。
「当時のドミノ・ピザの発展段階では、これは大変な目標でした。しかし、達成不可能な数字ではありませんでした。この目標で大切なことは、それが具体的な数字だったということです。ただ単に、今年はチェーン店を増やそう、などという漠然とした目標ではなく、五〇〇店舗達成か、そうでなければ破産だという姿勢で臨んだのです」
また、ヒル博士を思わせるような口調でこう語っている。「目標が明確で具体的であれば、他人にも理解しやすいものです。ナポレオン・ヒル博士も言っているように、実はこれがいちばん大切なことなんです。企業目標に取り組むときには、経営者はその目標を達成するために、社員にその目標を徹底させなければならないからです。その目標の何たるかをしっかりと理解させ、実行可能であるとの信念を持たせ、社員に、自分たちは達成できるとの確信を持たせる必要があるのです」この目標設定には、もう一つ重要な側面がある。それは達成期限を明確にすることである。
「この目標は、いつか近い将来に、といった期限のはっきりしないものではなく、て、年末までに達成するものとする」といった具合なのだ。明確な期限としある年のノートをのぞくと、四ページにも及ぶ翌年の年間計画に、仕事上の目標にとどまらず、健康上の目標も含めた一五〇もの達成目標が書き記されていた。
「体重を七五キロまで落とすこと。一日おきに腕立て伏せを二〇〇回はすること。脂肪とコレステロールの摂取をひかえること。マラソンを完足すること。レイ・クロック氏〔訳注…ハンバーガーのマクドナルドの創業者〕に合うこと……等々」
モナハンはこれらの目標の大部分は実現したが、あと一息というところで実現できなかったものもある。実は先に紹介した大目標も実現できなかったのである。
第三話7月28日更新
「500軒日の店舗の開店は、翌年に持ち越しになってしまいました。しかし、あと一息というところまで行ったおかげで、私はよけいに闘志を燃やして、目標店舗数の達成に邁進することができました」
目標達成を多少は欠いても、そのことが一段と闘志に拍車をかけたのである。ナポレオン・ヒル博士の「忍耐」の教えをひたすら守る。明確な目標を持つことの他に、モナハンは、目標達成のためには忍耐が必要である、というナポレオン・ヒル・プログラムの教えを実躇している。
マクドナルドの創業者であるレイ・クロックと面談したいという彼のエンスージアズムが、その一例である。「レイ・クロック氏との面談の約束はできないかと、私は一九六八年から八方、手を尽くしました。面談の目的は何かと、彼の秘書がよく尋ねたものです。私はそのつど、こう答えました。『事業の発展の仕方は似ていますが、ドミノはマクドナルドに比べ、一五年くらいは遅れています。マクドナルドの発展は私のお手本ですし、クロック氏は、私の経営上の神様です』と。しかし、野球にたとえれば、私は一塁にも達していなかったのです」
一九七二年以後、モナハンは面談の約束を取りつけるために、秘書を使って月に一度はクロックのオフィスに電話をした。しかし、そのたびに、面談できない理由をあれやこれやと聞かされている。
ようやくにして、カリフォルニア州サンディエゴのクロックのオフィスで面会できるかも知れないという連絡を受けたのは、一九八〇年の初夏であった。
後に彼は、面談の了解を得たときの経緯について、こう回想している。
「クロック氏の秘書が、できるだけのことをしてみましょうと言ってくれました。クロック氏は当時七十八歳で、健康状態が悪化しており、スケジュールも不規則になっていました。サンディエゴにいる間、私は毎日、オフィスに電話をかけたものです。それに対する空白の返事は、いつも、『できるかどうか考えてみる』でした」
「何回か無駄な電話をかけた末、ようやく、クロック氏がお会いしてもいいですよと言っているという返事をもらいました。面談時間はたったの五分間でしたが…‥」
精神力と目的意識と忍耐心を持って自ら考える人が、大願を成就する
「待望久しかった面談のときを迎えることになりました。私はこらえ切れないほど興奮しました。しかし、クロック氏のオフィスのロビーではかなりの時間、待たなければなりませんでしたので、もしかすると面会を断られるかも知れないと、不安になってきました」
「不安にさいなまれているとき、クロック氏の秘書がやって来ました。エスコートされて部屋に入ると、そこには、いたずらっぼい微笑を浮かべたクロック氏の姿がありました。私はさっそく、何回も読んだおかげで手あかで汚れ、形もくずれんばかりになった、『苦労の賜物-マクドナルドの創立』という彼の自叙伝を取り出しました。その本を読んで勉強し、彼の教えのどこにアンダーラインを引いているかを見せたのです」
最終話8月3日更新
秘書が時間切れを知らせるまで、彼ら二人の話は二時間半にも及んだ。とはいえ、初めのうちはモナハンの思いどおりには事は運ばなかった。
それについて、彼はこう述べている。「私のほうがクロック氏から教えを請おうと思って出かけたのに、逆に鋭い質問を矢継ぎ早に浴びせられてしまいました。結局、話をしたのは全部私のほうでしたが、そのかいあって、クロック氏は即座にドミノの経営理念のいちばんの理解者になってくれたのです」
また、クロックはナポレオン・ヒル・プログラムのこともよく知っていた。
モナハンの経営目標と、その目標達成を目指す努力に、クロックは賛意を表した。実際、彼がそのことに関心を寄せたことを伝える知らせが、モナハンの耳に入ったのである。それはある店長からの電話であった。彼は興奮した口調でこう言った。
「社長! 大変ですよ! 何があったと思われますか。クロックさんがご来店なさって、ピザを注文して下さったんですよ!」
モティベーションと、目的意識と、忍耐心-。人は自ら考えることによってのみ、成功を収めることができる。モナハンはそのことを身をもって示してくれた先達である。